仏教入門

#06

所要時間5分

お釈迦の十大弟子〜お釈迦さまを支えた10人


お釈迦様を支えた10人の弟子について、それぞれの特徴を説明いたします。

講義で学べるポイント!

  • お釈迦様の10大弟子の名前は?
  • 10大弟子のそれぞれの特徴は?

お釈迦さまを支えた10人「十大弟子」

お釈迦さまには、たくさんの弟子がいました。

なかでも、上位にいた10人の弟子を、通称「十大弟子」といいます。

そして、それら10人の弟子には、それぞれに他者よりも秀でる才能があったと言われ、「●●第一」ともいわれます。この「●●」の内容を見てみますと、お釈迦さまにお給仕する弟子の姿や、お釈迦さまの教えを釈尊滅後にも伝えていかなければならないという弟子の思いを感じずにはいられません。

これより10人の弟子を紹介しますが、あわせてその特徴を見ていくことで、十大弟子がこれまでとは異なった視点から、考えることが出来るでしょう。

  1. 迦葉(かしょう)
  2. 阿難(あなん)
  3. 舎利弗(しゃりほつ)
  4. 須菩提(しゅぼだい)
  5. 富楼那(ふるな)
  6. 目連(もくれん)
  7. 迦旃延(かせんねん)
  8. 阿那律(あなりつ)
  9. 優波離(うばり)
  10. (らごら)

 

迦葉「頭陀第一」「浄行第一」

妻を娶るものの、五欲の楽を好まず、両親が亡くなると妻と共に出家して、釈尊成道後3年目頃に弟子となります。

常に「少欲知足(しょうよくちそく)」の生活をし、「頭陀(ずだ)」を行じて、粗末な身形をしていたので、人々から軽んじられていました。

あるとき、お釈迦さまは、訪ねて来た迦葉に対して半坐を分ち「ここに坐し給え」と言ったことから、弟子たちは、迦葉が偉大なる人物であると知り、驚いたのであります。

お釈迦さまが亡くなったことで、尊く膨大な教えが散失することを防ぐために、「第一結集(=経典編纂のための会議)」を開くこととなり、迦葉はその長老となって、釈尊入滅後の教団を統率することとなりました。

『妙法蓮華経』授記品では、「光明如来(こうみょうにょらい)」と授記(=成仏の保証)されているのです。

 

阿難「多聞第一」

お釈迦さまのいとこです。

釈尊入滅後に、迦葉によって開かれた「第一結集」への参加を希望しました。

ですが、未だ阿羅漢果を得ていないことに加えて、

⑴お釈迦さまが養母である摩訶波闍波提(まかはじゃはだい)の出家を許さなかったのに、阿難の請いは許されたため、女性出家により正法500年を衰滅させたこと。

⑵お釈迦さまが入滅されるときに水を給仕しなかったこと。

⑶お釈迦さまは長い間この世に留まることができたのに、お釈迦さまに対してそれを請わなかったこと。

⑷お釈迦さまの衣を畳む時に足でそれを踏んでしまったこと。

⑸お釈迦さまが入滅された後に、釈尊の陰馬蔵(おんめぞう=男性器)を女性に見せたことの5つの罪を犯したことによって、許可されませんでした。

このため阿難は、大衆の前で懺悔し、禅定に入って深く反省をしたのです。

そして、ある夜に寝ようとしたとき、初めて悟りが開けたことで、結集に参加をしました。

「第一結集」では、経蔵を誦する役目を担ったのです。

仏教経典の多くは、「如是我聞(にょぜがもん)」と始まります。「是(かく)の如く我れ聞けり」などと書き下されますが、ここでいう「我」とは阿難のことなのです。

常にお釈迦さまにお仕えし、数多くいる弟子の中でも、最も多く教えを聞くの機会を得ました。

お釈迦さま在世中には悟りを開くことができませんでしたが、お釈迦さま入滅の後に悟りを開かれたのです。『妙法蓮華経』授学無学人記品(じゅがくむがくにんきほん)では、「山海慧自在通王仏(せんがいえじざいつうおうぶつ)」になると授記されています。

 

舎利弗「智恵第一」

もともとは、インドの思想家であるサンジャヤの弟子でした。

お釈迦さまの晩年に、提婆達多(だいばだった)が教団を分裂させ(=破和合僧〈五逆罪の一つ〉)、弟子の一部を引き抜くことをしますが、目連と共に説得して、弟子250人(500人の説もある)をお釈迦さまの弟子にさせました。

教団の中堅的地位にあった仏弟子です。『妙法蓮華経』譬喩品(ひゆほん)では、「華光如来(けこうにょらい)」になると授記されています。

 

須菩提「解空第一」「無諍第一」

お釈迦さまが、須弥山(しゅみせん)の山上である利天(とうりてん)で説法され、もどってきた時に、須菩提は迎えに行きませんでした。

お釈迦さまの身体も、私の身体も、すべては空であれば迎える者も迎えられる者もないと考え、衣を縫っていたのです。

そのとき、お釈迦さまは、自分を一番に礼拝して迎えたのは須菩提であると讃歎したと伝えられています。

聡明で、怒りやすい性格でありましたが、お釈迦さまの教えを聞き、たちまちにして悟りを開き、それ以降は無諍三昧(むじょうざんまい)をおこない、二度と怒ることがなかったといわれています。

『妙法蓮華経』信解品(しんげほん)では、「名相如来(みょうそうにょらい)」という記別(きべつ=成仏の保証)が与えられました。

 

富楼那「説法第一」

釈尊と同じ日に生れました。

インドで編纂された宗教文書『ヴェーダ』に精進していましたが、釈尊が出家すると、友人30人とともに出家して雪山で苦行をおこないます。お釈迦さまが成道したのを聞き、弟子となって、さらには99000人を教化したと伝えられています。

『妙法蓮華経』授記品(じゅきほん)において、「法明如来(ほうみょうにょらい)」との授記が与えられました。

 

目連「神通第一」

インドの思想家であるサンジャヤの弟子でありました。

サンジャヤのもとでは、7日間ですべてのことを学び終え、教師として、250人の弟子に教えていましたが、サンジャヤの教えに満足できずにいました。

そこで、同じく十大弟子の一人である舎利弗と相談し、良き師匠に出会ったときは、教え合おうと約束していたところ、舎利弗は仏弟子の阿説示(あせつじ)の堂々たる姿を見て、目連と語り、弟子250人とともに弟子となりました。

バラモンから瓦石を蒙り、釈尊より早くに亡くなったのです。『妙法蓮華経』授記品(じゅきほん)では、「多摩羅跋旃檀香如来(たまらばつせんだんこうにょらい)」との授記が与えられています。

 

迦旃延「論議第一」

お釈迦さま入滅後、そして、舎利弗や目連が入滅されたのちに、教団の中心人物となりました。

お釈迦さまの教えの説明役を果たし、その意味内容が広く弘まるように努めたのです。

また、王に向かって、四姓(しせい)が平等にあるように説きました。

四姓とは、⑴婆羅門(ばらもん)、⑵殺帝利(せっていり)、⑶吠舎(べいしゃ)、⑷首陀羅(しゅだら)であり、これらの平等を求めたのです。

『妙法蓮華経』授記品では、「閻浮那提金光如来(えんぶなだいこんこうにょらい)」という授記が与えられました。

 

 

阿那律「天眼第一」

「阿楼駄(あぬるだ)」とも言われ、阿難とともにお釈迦さまの弟子となったのです。

説法の時に居眠りをしてしまい、それを悔やんで、二度と寝まいという誓いを立てました。

ですが、これによって、失明してしまいます。

しかしながら、失明をしたことによって、天眼(てんげん)を得たのです。

この天眼によって、お釈迦さまが入滅するときに、利天(とうりてん)に昇り、お釈迦さまの母親である摩耶夫人(まやぶにん)に知らせたのです。『妙法蓮華経』五百弟子授記品では、500人の仏弟子(=五百弟子)と共に、「普明如来(ふみょうにょらい)」と授記されています。

 

優波離「持戒第一」

床屋を生業としていたが、阿難たちと共にお釈迦さまの弟子となります。

「第一結集」では、戒律を誦する役目を担ったことから、持律を重んじられたのです。お釈迦さまが成道され故郷に帰ったとき、釈迦族の阿那律・阿難・堤婆達多などの貴族であった者たちは、教化を受けて仏弟子なる決心をします。

そのときに、床屋で奴隷であった優波離も同様に弟子となることを希望したのです。

お釈迦さまは、まず優波離を出家させて、のちに貴族である者たちを出家させました。これは、阿難たちの高慢さを消滅させるための方法であったのです。

 

羅「密行第一」

お釈迦さまが太子であったときに、妃の耶輸陀羅(やしゅだら)との間に生まれました。

15歳で出家し、仏教教団で初めての「沙弥(しゃみ)」となります。

羅は、お釈迦さまの子供として父の威信を傷つけてはならないと努めました。

「律(りつ)」では、沙弥と比丘(びく)が同宿することが禁じられており、あるとき、比丘たちは羅羅を追い出してしまうのです。そこで、行き場のなくなった羅羅は、便所で一夜を明かそうとします。

これを知った父でもあるお釈迦さまは、羅羅を自分の宿房に泊まらせたのです。親子として同宿するのは、これが最初で最後であったことも言われていますが、幼きながらもワガママを言わずに、密かに仏道修行に精進しようとしたことがうかがえます。

『妙法蓮華経』人記品では「蹈七宝華如来(とうしっぽうけにょらい)」になるであろうと授記されています。

 

お釈迦さまを支えた10人「十大弟子」のまとめ

このように、お釈迦さまの弟子の中でも、特に上位にあった10人の弟子をみてみますと、お釈迦さま在世に弟子になった者もいれば、お釈迦さま滅後に弟子となった者もいます。

そして、それぞれが「第一」とすることに着目してみますと、頭陀(浄行)・多聞・智慧・解空(無諍)・説法・神通・論義・天眼・持戒・密行と、たいへんに多種多様なことがうかがえます。

弟子ひとりひとりが、師匠であるお釈迦さまにお仕えし、また、その教えを後世にまで伝えるべく、尽力されていたのです。

私たちも、お釈迦さま在世の弟子方にはかないませんが、ひとりひとりがお釈迦さまの弟子「仏弟子」であるという自覚のもとに、仏道修行に励んでいきたいものです。