STEP01
講義#03
所要時間3分
「まずは基本的な仏教の教えを知ろう」3つめの講義です。
今回は生きる上での苦しみ「四苦八苦」について説明いたします。
講義で学べるポイント!
- 生きる上での8つの苦しみ四苦八苦とは?
生きる上での8つの苦しみ
「日々の生活で辛いことや苦しいと思うことはありますか?」と聞かれたら、ほとんどの方が、「はい」と答えるでしょう。
「喜怒哀楽」という四字熟語があらわすように、喜びや楽しみの反面、怒りや哀しみは誰もが持っている感情です。
しかし、そのような苦しみも、私たちは乗り越えて、前向きに生き抜いていかなければなりません。
お釈迦さまは、私たちが生きる上での苦しみを、「四苦八苦」という教えにて残されています。
この講義ではこの四苦八苦について詳しく説明していきます。
「苦」とは、超えなければならないこと
「苦」という、文字を見たとき、あるいは、「苦しみ」と聞いたとき、私たちはマイナスのイメージを持ってしまい、ネガティブな気分にもなってしまうでしょう。
ですが、仏教においては「苦」は「苦しみ」という意ではありません。
「冬は必ず春となる」、「夜は必ず朝となる」という言葉があるように、「苦しみの先には幸せがある」と考えます。
私たちの前にはいくつもの試練が待っています。ですが、そのような「苦」こそ、超えなければならないことでもあります。
四苦八苦
仏さまのは私たちの苦しみを大きく8つに分類しました。
この8つに分類したものを四苦八苦といいます。
四苦八苦は、下に示しました図にある通り、①から④の4つを四苦といい、これに⑤から⑧の4つを加えて、八苦となります。
- 生苦(しょうく)
- 老苦(ろうく)
- 病苦(びょうく)
- 死苦(しく)
- 愛別離苦(あいべつりく)
- 怨憎会苦(おんぞうえく)
- 求不得苦(ぐふとっく)
- 五蘊盛苦(ごうんじょうく)
それでは、8つの苦しみについて一つ一つ説明していきます。
生苦
生きる苦しみのことです。
私たちは、父親と母親の温かな慈愛によって、この世に誕生してきました。
そして、「オギャー」と産声をあげたときに、「生」という字の意味は、「生まれる」から「生きる」となります。
そして、生まれた瞬間から「苦」が始まります。
生きるということは思い通りにいかないことばかりです。
お釈迦さまは、この思い通りにいかない苦しみを「生苦」としました。
老苦
年を老うという苦しみのことです
生まれた瞬間より、日を重ね、月を重ね、年を重ねます。
小さな赤ちゃんとして生まれた私たちも、身心ともに成長し、青年・壮年・老年と変化してゆきます。
年を重ねれば、記憶力が低下したり、思うように身体が動かなくなったりと変化しますが、それに逆らうことはできません。これが「老う苦しみ」であります。
お釈迦さまは、この老いによって生じる思い通りにいかない苦しみを「老苦」としました。
病苦
病にかかるという苦しみのことです。
年を重ねると、身体のあちこちが痛くなったり、身体の臓器が弱ったりと、必ず病気にかかります。
病を患うには、老齢の方に限らず、若年の方も同じでしょう。
肉体や精神に不調が伴うことは避けたいと思いがちですが、それこそが「病いの苦しみ」なのです。
お釈迦さまは、この病気による思い通りにいかない苦しみを「病苦」としました。
死苦
死ぬという苦しみのことです。
生まれたということは、その瞬間から、「死」に向かっているのです。
命を与えられた者は、「死」を免れることはできません。
必ずや迎える「死ぬ苦しみ」です。しかし、限りが有る命だからこそ、自分らしく豊かな人生にしたいものです。
お釈迦さまは、この思い通りにいかない死に対する苦しみを「死苦」としました。
愛別離苦
会いたい人に会えない苦しみのことです。
「あの人に会いたい」と思うことは、よくあるでしょう。
特に恋愛においては、「今すぐにでも恋人に会いたい」と感じることは多いです。
また、死別の悲しみは、人間が感じる悲痛な思いの中でも、一番に挙げられると思います。
愛する人と別れなければならないこと、離れなければならないことが説かれているのです。
お釈迦さまは、この会いたい人に会えない苦しみを「愛別離苦」としました。
怨憎会苦
会いたくない人にも会わなければならない苦しみのことです。
もめ事やケンカをしたとき、「あの人に会いたくない」と思うことがあります。
ですが、家族としての営みや仕事をする上での役割を果たすには、会いたくない人にも、会わなくてはなりません。
そのような「苦」を説かれています。せっかく他者とお会いするのであれば、また会いたいと思われるような人間形成を心がけたいものです。
お釈迦さまは、この会いたくない人に会わないといけない苦しみを「怨憎会苦」としました。
求不得苦
欲しいものが手に入らない苦しみのことです。
「宝くじが当たって欲しい」や「あの人と一緒になりたい」など、私たちは多くの望み(欲望・欲求)を持っています。
しかし、それらがすべてそのままに成就することはないと、指南されているのです。
お釈迦さまは、この欲しい物が手に入らず思い通りにいかない苦しみを「求不得苦」としました。
五蘊盛苦
仏教的な解釈では、現実を構成している5つの要素があり、それは⑴色(しき=肉体)、⑵受(じゅ=感受作用)、⑶想(そう=表象作用)、⑷行(ぎょう=意志作用)、⑸識(しき=認識作用)を指しています。
これらの5つが、苦であることを意味しており、つまりは迷いの世界として存在する一切のものはすべて苦であるのです。
お釈迦さまは、この「五蘊盛苦」という言葉で存在する一切のものはすべて苦であるとしました。
生きるうえでの8つの苦しみまとめ
お釈迦さまも、私たちと同じように、苦悩されたのでしょう。
生まれてから死ぬまでのことはもちろん、日々の生活でも非常に悩まれたと思います。「苦」と考えると、難しいイメージを持ちますが、実際には、私たちの生活と深く関わり合っている教えなのです。
2500年前のインド社会と、現在の日本では、時間も空間も大きく異なります。
ですが、いつの時代にも、人間にとって「苦」とされる内容には相違なきことを、お釈迦さまが教えてくださっているのです。
「苦」はたくさんありますが、それを克服して乗り越え、豊かな毎日を送ることに努めましょう。
それでは次の講義では、なぜ苦しみが生じるのか?その根本となる「原因と結果」という考え方について学んでいきます。
この考え方は仏教を学ぶ上でもっとも重要な考えの基本になります。