
用語解説
#001
所要時間3分
「因果報応」の本当の意味をご存知でしょうか?
仏教の観点から見る一般的な解釈と異なった「因果報応」についてわかりやすく説明いたします。
講義で学べるポイント!
- 因果報応の一般的なイメージ
- 因果報応の仏教的な解釈
- 因果報応から何を学ぶのか?
因果報応は仏教語!?
よく耳にすることがある「因果応報」という言葉。
これは実は仏教の言葉が元になっているんです。
しかも一般的にイメージされている言葉とは違う意味が本来の仏教用語としてあるのをご存知でしょうか?
今回はその「因果応報」についてわかりやすく説明いたします。
因果報応とは?
因果応報とは全てに行為には必ず結果が応え報いるとうことを意味します。
原則は
- 「善因楽果」もしくは「善因善果」
- 「悪因苦果」もしくは「悪因悪果」
です。
ちょっと難しいですよね。
つまり、良い原因があれば良い結果に結びつき、悪い原因があれば悪い結果に結びつくということです。
一般的な誤解は?
一般的にはバチが当たったと言うような文脈で、悪い行いに対して悪い結果がかえってくる「悪因苦果」の文脈で語れることが多く。
悪い行いをした結果、悪い結果になった場合に使うイメージが強いのでは無いでしょうか?
例えばこのような形で「因果応報」と使うことが多いと思います。
(使い方は間違ってはないです)
先にオーストラリアで
たくさんの動植物が焼死した
今ウィルスにて
ヒトが未曾有の被害を受けているこれを因果応報というのなら
人災たるオーストラリアの火事が
人に返ってきたということもし海に生き物が住めなくなったら
陸にも住めなくなるだろう— 昴斗真 (@tohma_subaru) May 6, 2020
こういう状況下なことを利用して悪事を働く人ってやっぱいるし、考えられない詐欺とか思いつく人いるけど
ほんとなんでそういう人が生き延びるんだろうな
私割と因果応報って言葉を信じてるからそういう人らはこの先何らかの形で本人にとって不本意かつ望まない不幸に苛まれろと思ってる(ゲス顔)— 🌌 (@174yryr) May 6, 2020
しかし、仏教での解釈は、善い行いに対して良い結果がもたらされることも因果報応というのです。
「あれだけ勉強したんだから、テストの結果が良かったのは因果応報だね!」
という感じです。少し違和感和ありますよね。それだけマイナスのイメージで使うことが多いのは事実です。
さらに、時間軸に関しても一般的な解釈と異なります。
因果報応の時間軸
私達は、行為に対する結果が現れる時間軸を、短く考えがちです。
遅くても数年のイメージが強いのではないでしょうか?
例えば、大学受験が3年後に控えているのに、勉強していなくて、不合格になった倍、それは因果報応だね。といった文脈で使うことがありますが、この場合の時間軸は長くても3年前後です。
しかし、仏教の場合はスケールが違います。
結果が生じる時期については、現世、次世、あるいは第三世以降になると解釈されています。(これを三時業ともいいます。)
つまり、今の私達が存在するのは、前世での因によるもので、更に現世での因が、来世の果になるという考えです。
過去や前世の行いの善悪にあわせた報いを受けるという意味として解釈します。
因果報応から何を学ぶのか?
因果報応の意味を知るだけではなく、そこから何を学ぶのかが重要です。
因果報応という言葉からはある原則を私達に教えてくれます。
それは
「どんな結果にも必ず原因があり、原因なしに起きる結果は一つもない」
ということです。
逆に言うと
「どんな行動もそれが原因となり、かならず結果に結びつく」
ということです。
今の行為が原因となり、未来に訪れる結果に影響を及ぼすのです。
ではその「行為」とはなんなのでしょうか?
身口意三業
仏教では、結果の原因となる行動(業)を身体、口(言語)、意識(思考)の3つにカテゴリ化しています。
それぞれ見ていますと。
身体
こちらはイメージが付きやすいのではないでしょうか?
- 朝にゴミを拾う。
- 挨拶をする。
- 他人を傷つける。
これら身体を伴う行為すべてが因になります。
言語
さらに仏教では口からでた言葉を重視しています。
口は災いのもととはよく言ったものですね。
- 他人に対する悪口。
- 他人を褒めること。
- 責任のある発言、もしくは無責任な発言
- これらすべてが因になります。
意識
そして、重要なのが意識(思考)です。
心のなかで、
- めんどくさいなぁ
- 嫌いだななぁ
- 楽しいなぁ
- 嬉しいなぁ
と思った意識がすべて因になります。
この世の中には清廉潔白な人はいません。
誰しも何かの悪行をしてしまいます。
「めんどくさいなぁ」と思ってしまったり。
高齢者の方に席を譲らなかったり
他人の悪口を言ってしまいます。
残念ながらこれらすべての行為が、結果となって自分に応報します。
しかし、そこで重要なのは、この自分の悪行を認めてあげて、
一つづつでも善行に変えていく努力をすることなのです。
仏教はそのためのものの見方や考え方、実践方法を教えてくれる方法論でもあるのです。
「めんどくさいなぁ」と思ったと気づいた時こそ、少し積極的に行動してみる。
今日は席を譲れなかったとしても次に譲れるように努力する。
もし悪口を言ってしまったら、素直に謝る。
など、それぞれの悪因を少しずつ善因に変えていくことが重要なのです。