用語解説

#01

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【弘法大師(空海)】とは?要点まとめて紹介 | 仏教用語を3分でわかりやすく説明シリーズ


弘法大師とは誰で何をした人なのか詳細までわかりやすく説明していきます。

講義で学べるポイント!

  • 弘法大師とは?
  • 弘法大師を知る上で知っておくべき5つのポイント!

弘法大師とは?

弘法大師とはずばり、空海のことです。

ではなぜ2つの呼び方があるのでしょうか?

弘法大師である空海は744年に生まれて835年に亡くなったと言われています。
当時の僧侶は、生前に業績を残した人に対して貢献を称賛するために、諡号(しごう)というものを贈られました。

空海は生前の業績を
弘法=仏の教えを世間に広め
利生=人々に利益を与えた

と評され、「弘法利生」という諡号が与えられました。

このことから空海は弘法大師と呼ばれるようになったのです。

ちなみに、歴史上で空海と名前を並べる最澄も、「伝教大師」という諡号をもらっています。
日本の歴史上で朝廷から◯◯大師という諡号をもらった人は24人しかいないと言われています。

それほど、伝教大師(空海)は偉大な僧侶だったと言うことがわかりますね。

弘法大師(空海)を知る上で必要な7つのポイント

①超優秀なエピソード

804年30歳になった弘法大師(空海)は唐に留学します。

そして、805年の5月に空海は密教の正当な継承者で三代の皇帝にも頼りにされたと言われている、長安で最も有名な僧である恵果和尚と出会いました。

その後、恵果和尚から密教の伝授開始。
なんと3ヶ月で密教の教えをマスターし尊称を得ることになりました。

言語も違う長安でこの速さ、いかに弘法大師(空海)が優秀だったかということがわかります。

さらに同年12月に師匠の恵果和尚が亡くなったとき、大師は弟子の代表者として碑文を起草したと言われています。
恵果和尚の弟子は1000人に及ぶとも言われていたにも関わらず、正統な継承者に指名されたと言われてるのです。

その後たったの2年で密教の教えを完全にマスターし日本に戻ったとされています。

②真言宗の開祖

弘法大師は真言宗の開祖です。

真言宗は弘法大師(空海)が中国の長安に渡って学んだ密教を基盤としている日本の代表的な宗教です。
密教とは秘密仏教とも言われおり、その名前の通り、神秘的な要素が多い秘密の教えです。

弘法大師(空海)は真言密教を日本国中に広めようと、中国から帰る途中に何度も嵐にあい何度も船が沈みかけました。
しかし、右手に不動明王の剣印、左手に索印を結び、口に真言を唱えて波をしずめ、無事に帰ることができたとう伝説が残されています。

その後、弘法大師(空海)は「真言密教を日本全国に広めることを、お許し願いたい」という上表文を天皇陛下におくりました。

そこで「真言宗」という宗旨を開くお許しを得て、真言密教を 日本に広めることになりました。

③入定に関する伝説

入定とは高僧が亡くなることを意味します。
弘法大師も人間です。いよいよ亡くなる時が来るのですが、その入定に際していくつかの伝説が残されています。

真言宗の僧侶にとって弘法大師の空海はまだ禅定を続けているとされています。
そのため、いまだに奥の院の維那(ゆいな)と呼ばれる仕侍僧は衣服と二時の食事を給仕しています。

入定しても髪や髭が伸びてる説

仁海という人が著した『金剛峰寺建立修行縁起』では入定した弘法大師(空海)は四十九日を過ぎても体の色に変化がなくむしろ髪や髭が伸び続けていたと記されている。

入定しても出歩いている説

なんと、入定したあとも諸国を周っているという説がある。
この説のその証拠として、毎年3月21日に高野山で空海の衣裳を改める儀式があるのだが、その衣装につくはずのない土がついていたということが言われている。

火葬された説

歴史的な文献には空海の火葬に関する記述もあるため、火葬されたという説がある。

④伝教大師(最澄)との関係

弘法大師(空海)と伝教大師(最澄)は比較されることが多いです。

最澄が遣唐使として唐に渡った際に、実は船は違いますが空海も留学生として遣唐使船に乗っていたと言われています。
最澄はこのとき既に38歳で、名のしれたエリート僧侶でした。
しかし、30歳の弘法大師(空海)は無名だったのです。

最澄は唐での遊学期間は1年と言われています。この期間に、天台教学を中心に学びました。
しかし、密教まで十分に学ぶことはできませんでした。

そのため、密教をマスターした弘法大師(空海)に密教を教えてもらっていたなど、二人には交流があったと言われています。
しかし、以下の理由から決別があったと言われています。

  • 空海のもとに預けた泰範(最澄の愛弟子)が空海の弟子になった。
  • 空海による『理趣釈経』貸し出しが拒否がされた。

弘法大師(空海)のもとに預けた弟子が密教に魅せられたとなるとよっぽど魅力的だったのでしょうか?
真偽はわかりませんが、気になる話ではあります。

⑤弘法大師を用いたことわざや慣用句

最後に弘法大師を用いたことわざや慣用句を紹介します。

弘法大師(空海)は多岐に渡る才能からまさに、エリートの代名詞として使われていたことがわかります。

弘法も筆の誤り

このことわざは聞いたことがあるのでは無いでしょうか?
優秀な人がミスを犯した場合に「弘法も筆の誤り」と少し慰めたようなシチュエーションで使うことが多いと思います。

このことわざにはこんなエピソードがあります。
ある時弘法大師(空海)は天皇からの依頼で、額を作成することになりました。
しかし「應」の上の点を書き忘れたと言われています。

このことから、いくら達筆で優秀な弘法大師(空海)でも誤ちを犯すことがあるんだということでこのことわざが生まれました。

でも、このことわざには実は別の意味もあるんです。
誤りを指摘された弘法大師(空海)は掲げられた額を降ろさずに直接筆を投げつけて「應」の書き忘れた点を書き直したというエピソードがあるのです。

そのため、「さすが大師様、書き直し方さえも常人とは違う」という尊敬の意味もあると言われています。
なかなか強烈なエピソードですね。

弘法筆を選ばず

こちらも有名なことわざです。
弘法大師(空海)は字が非常に達筆でした。
そのため、字を書くのが上手な人は、筆を選ばずとも、上手書くことが出来る。
そんなことから、能力があれば道具を選ばずとも能力を発揮できるとう意味で使われるようになりました。

しかし、このことわざにも別のバージョンがあります。
別よ言うよりむしろ逆で、「弘法筆を選ぶ」ということわざで、優秀な人は、使用する道具もいい道具を選ぶ、つまり良い道具の選択が重要という意味で使います。

以上が弘法大師(空海)について知っておくべき要点でした。
これを見ると弘法大師(空海)は非常に優秀な人だったことがわかりますね。