STEP02
講義#02
所要時間3分
仏教を開いたお釈迦さまを知ろう②
仏教の開祖、お釈迦さまの生涯の八相成道とは?
ここではお釈迦さまのご生涯について学んでいきます。お釈迦さまのご生涯は大きく8つに分けることが出来ます。それを八相成道といいます。
講義で学べるポイント!
- お釈迦さまのご生涯について知ろう!
- 八相成道を理解しよう!
お釈迦さまのご生涯「八相成道」
(画像引用:http://www.talknj.com/capital/40/20140413/9-2.html)
仏教を開かれたのは、お釈迦さまです。
私たちは、敬意をもって、「御」や「様」の尊称を付けて呼びますが、一般的には、仏教の開祖を「シャカ」といわれます。
「仏陀」・「ブッダ」・「ゴータマシッタールタ」と呼ばれることもあり、あるいは、仏教典籍などでは「釈尊」「釈迦牟尼世尊」「釈迦牟尼仏」ともあります。
生没年は定かではありませんが、紀元前463―前383年説や紀元前565―前485年(566―486とも)説などがあり、いずれも紀元前4~5世紀の活躍であることがわかります。
お釈迦さまの80年におよぶ生涯を見てみますと、特に重要とされる場面が8つあり、これを「八相成道」と呼びます。
- 降兜率(ごうとそつ)
- 託胎(たくたい)
- 降誕(こうたん)
- 出家(しゅっけ)
- 降魔(ごうま)
- 成道(じょうどう)
- 転法輪(てんぼうりん)
- 入滅(にゅうめつ)
では、これより、「八相成道」を中心に、お釈迦さまのご生涯をたどっていきましょう。
お釈迦様のご生涯「八相成道」
降兜率(ごうとそつ)
兜率天(とそつてん=欲界六天の第四天で将来仏となるべき菩薩の住処)より、六本の牙をもつ白象になり閻浮提(えんぶだい=私たちの住む世界)に降って、この世に来られるという伝説です。
託胎(たくたい)
白象となり閻浮提に降ってこられたお釈迦さまは、母親であるマーヤー(摩耶)夫人の右脇より入り胎内に宿り、マーヤー夫人は懐妊したといわれています。
伝説によればこの時、マーヤー夫人は宮殿で横になっていると、天上より六牙の白象が降りてきて右脇より胎内に入っていく夢を見たといいます。
降誕(こうたん)
マーヤー夫人は、お産のためにご自分の実家のあるコーリヤ国に帰る途中、ルンビニーの花園で休憩をとられ、真紅に咲き誇るアソーカの樹(無憂樹・むゆうじゅ)の一枝を手折らんとして右手を挙げたその時、マーヤー夫人の右脇から男子が出生しました。
このとき、竜が産湯のかわりに甘露の香水を天より降らしたといいます。
この伝承から、ルンビニー園の花園に因んで、花で飾った花御堂に誕生仏を安置して甘茶を注ぐことが行われます。
生まれてすぐに東に向かって七歩あゆみ、右手を上にして天を指し、左手は下にして大地を指しました。
そして、「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と発しました。
この言葉に続くものとしては、いくつかの説があります。
- 「三界皆苦 吾当安此(さんがいかいくがとうあんし)」
- 「三界皆苦 吾当救之(さんがいかいくがとうくし)」
いずれにしても、欲界・色界・無色界の三界は、お釈迦さまの国土であり(仏国土)、お釈迦さまによって安穏や救済がもたらされる国土であることを意味しています。
釈尊の母マーヤー夫人は、出産の七日後に亡くなり、釈尊は母マーヤー夫人の妹であるマハー・ブラジャパティー(摩訶波闍波提〈まかはじゃはだい〉)に養育され、豊かな生活環境のなかで王子として生活されたのです。
その後、16歳で隣国の王女ヤショーダラ姫(耶輸陀羅〈やしょだら〉)を妻に迎え結婚生活に入り、一子ラーフラ(ラフーラとも、羅睺羅〈らごら〉)を授かりました。
出家(しゅっけ)
お釈迦さまの出家は、「四門出遊」(しもんしゅつゆう)という物語にて語られます。
東門を出たとき、老人に出会いました。
南門を出たとき、病人に出会いました。
西門を出たときには死者の葬列に遭遇しました。
北門を出たときに出家者 (沙門) の堂々たる姿に出会いました。
北門で出会った出家者の姿こそ、自分の進むべき道と見出されたのです。
沙門の姿に感動したお釈迦さまは、出家を決意されました。
(ステップ1の講義2でも説明しましたが覚えてましたか?)
若きお釈迦さまは、人生の根本的な苦である「老・病・死」に直面し、如何にして解決されるのかを考えられ、出家の道を選ばれたのであります。
妻のヤショーダラーと息子のラーフラを置いて、出家の道に入られました。
降魔(ごうま)
お釈迦さまは、静かに菩提樹の下に坐って修行されていました。
そして、お釈迦さまの成道(じょうどう)が近いことを知った魔王(まおう)が、これを阻止するために妨害を加えたのです。
魔王ははじめに3人の魔女を使わして、その誘惑によってお釈迦さまの心を乱そうとしました。
ですが、心が動じないことを見ると、次には悪魔の軍勢により、武力で瞑想を妨げようとしました。
しかし、悪魔の放った矢はお釈迦さまに近づくと花びらとなって落ち、お釈迦さまに危害を加えることはできませんでした。
相次いで起こった悪魔の誘惑を滅ぼし、最後の瞑想に入られたのです。
このように考えますと、ここに登場してくる「悪魔」とは、私たちの日々の生活に見られる「迷いの心」ともいえましょう。
お釈迦さまもこうした迷いを克服されたことは明らかであります。
成道(じょうどう)
お釈迦さまは、「苦」の原因をつきとめて、これを解決するための道を理解されました。
そのことによって、さまざまな迷いや不安が消え去り、喜びへと転じたのです。
このとき、お釈迦さまは35歳でした。ついに悟りを開かれたのです。
これ以降、悟りを開かれたことで多くの教えを説かれました。
転法輪(てんぼうりん)
悟りを開かれたお釈迦さまは、菩提樹の下で悟りを感じられながら禅定に入っていました。
そしてお釈迦さまは、最初に教えを説くべき相手として、6ヶ年の苦行を共にした5人の修行者にすることを考えられたのです。
5人の修行者は、ムリガダーヴァ(鹿野苑・ろくやおん)で苦行を続けていました。彼らは、目の前に光り輝く偉大なお釈迦さまが現れると、立ち上がり挨拶を交わしました。
自ら「正しく覚った者」であることを宣言し、5人に向かって法を説いたのです。これがお釈迦さま最初の説法であり、「初天法輪(しょてんぼうりん)」といいます。
入滅(にゅうめつ)
晩年のお釈迦さまは、あるとき激しい腹痛におそわれました。
ご自身の死をさとられたのです。
遺言として、その場に集まった弟子や信者らに対して、「自らを頼りにして、真実を頼りにして生きていきなさい」と言い、「自燈明(じとうみょう)」・「法燈明(ほうとうみょう)」との教えを残されました。そして、80歳の生涯を閉じられたのであります。
お釈迦さまが亡くなられた後、舎利弗(しゃりほつ)や目連(もくれん)などの十大弟子や多くの弟子・帰依者によって全世界へと広まっていきました。「十大弟子」については、次の講義にて詳しく解説をしております。
以上、おおまかにお釈迦さまの生涯を、8つの場面(八相成道)に分けて確認をしてきました。
お釈迦さまの教えである「仏教」を学ぶことは大切でありますが、お釈迦さまの生涯そのものから「仏教」が誕生したことを考えますと、生涯を学ぶことはとても大切であると理解できます。
次の講義は、そんなお釈迦さまをお支えになった10人の弟子たちの説明をします。お釈迦さまの10人の弟子たちは全員特徴があるのでぜひ学んでいってください。