コラム
コラム
所要時間3分
コラム18
講義で学べるポイント!
「ブッディストネーム」ともされる戒名は、僧侶と遺族が話し合って決め、そのうえでお与えするべきものではなかろうか?
私たちが、この世に生まれたとき、始めにおこなわれることのひとつとして、「命名」が挙げられる。両親が決めることが多いが、縁のある宗教者や有識者に依頼をすることもあろう。私も、命名に関わらせていただいたことがあり、その経験はいつまでも忘れることはない。
さて、今世が終わると、私たちは来世へと歩みを進めることがある。是々非々はあれども、現在でも多くの葬儀が仏教式でおこなわれ、僧侶による「引導」が渡される。
よく、葬儀においては、「葬儀並告別式」と表現されることがあるが、葬儀の主役が個人であるのに対し、告別式の主は遺族や参列者を意味する。
つまりは、「引導」を渡すのは、葬儀の儀式の中に含まれるのである。そして、そこで必要になるのが「戒名」である。(宗派や地域によっては、法名や法号とも)
戒名を決める
先日、葬儀の依頼があった。その家にとっては、初めての葬儀であり、縁あって、私のもとへ依頼が来たのである。
私の思想信条で恐縮であるが、「逆修」を推奨している。「逆修」とは、生前戒名ともいい、生前にその法名を授かっておくことである。
話はずれるが、「クリスチャンネーム」という表現がある。であれば、「ブッディストネーム」もあってもいいだろう。これこそが、いわゆる「戒名」に当たるのである。
ただし、この名前は、文字数やその他のさまざまな事情を含んでおり、周波や地域などにより、なかなか面倒な問題であるのも事実である。
しかし、私自身のポリシーとて、私が導師をお勤めさせていただく以上は、「戒名」を授けるときに納得してもらえるように努力しなければならないと考えている。
私は、「戒名」については、本人との話し合いで納得のいく形を提供したいと思っている。しかしながら、今回の場合は、亡くなった後に遺族から連絡が来たので、本人とお話をすることはかなわなかった。
それでも、残された遺族に納得していただきたいとの思いから、私なりに努力はさせていただいた。
私は、お尋ねをした。
「どんな性格でしたか?」
「お仕事は?」
家族からの答えは、
「子や孫を本当に大切にしていました」
「匠のような仕事振りでした」
とのこと。
そして、
「お戒名に、是非とも入れたい文字はありますか?」ともたずねると、故人の奥さまからお答えをいただいた。
その答えは、故人の名前から一文字と、故人の性格をあらわす一文字である。
私も納得したが、なによりも喪主・遺族が納得をしてくれたことが、本当によかったのである。
そして葬儀当日には引導をお渡ししたが、式の終了後には遺族が、私がいる控室にやってきた。
いいお葬式でした。悦んでいると思います。一緒にお戒名も決めることができて、本当によかったです。
この一言が、すべてを物語っているような気がする。
むすびにかえて
戒名とは、換言するならば、来世の自分の名前である。亡くなってから、僧侶が勝手に決めているというイメージが強いが、本来は本人の生前中に納得のいく形で与えられるべきものであろう。それがかなわなくとも、遺族との話し合いで決めるものである。けっして、僧侶が独断で決めるべきものではないと考える。それも、宗教不信の一因となろう。
意義のある物事を意義のあるままに行いつつも、適切な形をすることが、今こそ求められていよう。