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コラム20

【コラム】節分 「鰯」からなにを学ぶのか?


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講義で学べるポイント!

節分には、鰯のアタマを祀ることがある。なぜか?

そして、イワシの頭から、なにを学ぶのか?

今日は、節分である。例年であれば、2月3日であるが、暦の関係で今年は1日早く、2月2日である。2日に節分を迎えるのは、124年ぶりとのことで、一生に一度、出会えるか否かというレベルのことである。
コロナウイルスが終息していれば、各地の寺社仏閣で節分会が営まれるところだが、今年はどこも中止や縮小を余儀なくされている。
私も、お寺で静かに法要を執り行い、豆を撒いた。

鰯と節分

節分といえば、豆まきであり、近年では「恵方巻」が主流となっている。その一方で、姿を見なくなったのは、「柊と鰯」である。
小学校を田舎で育った私の記憶では、20年前は、割合と多くの家の玄関先に、イワシが祀られていた。時代の変化だろうか、最近はまったく見ないし、私が住む集落でも、数えるほどしかないのである。

イワシの意味は?

鬼を退散させるために、鰯の頭を柊にさして門や軒、窓にさしたまじないである。呪いではあるが、現下の状況を考えれば、呪いでは済まないような気もしてならない。
ことわざにて、「いわしの頭も信心から」というものがある。
理由は種々にあるが、神仏への信仰心が希薄といわれる現代において、大切な指南ではなかろうか?
信仰心が深いとどのようなものでも尊く思えることであり、節分の時に、軒先に祀られている鰯さえも、崇拝の対象となる。ここでいう鰯の頭は、つまらないものという意味のたとえとして用いられるが、法華経の20番目「常不軽菩薩品(じょうふきょうぼさっぽん)」にて、常不軽菩薩の「但行礼拝(たんぎょうらいはい)」ということが説かれる。この菩薩は、ただ礼拝を行じたのであるが、私たち現代人も、鰯の頭さえも礼拝できるような心持ちでありたいと思う次第である。

むすびにかえて

節分を迎えたが、豆と鰯はその象徴でもあろう。恵方巻もあるが、これは、商売人の戦略と思えてならない。
さて、鰯をお祀りしたことで、「いわしの頭も信心から」という言葉を挙げ、信心ということを考えてみたが、古来より伝わる風習とそれにともなう言葉などは、時代を超えてをも、私たちになにかを伝えているのではないだろうか。
ただし、そのメッセージを私たちが如何に受け止め感じ取るかは、私たちの生き方に委ねられていることは言うまでもない。
節分とは、豆を撒くだけではなく、春を迎えるためにも重要な意味を持つ。厳しい今だからこそ、如何に生きていくかは、一人一人にかかっていよう。