コラム
講師:恵心
所要時間3分
因果応報と自業自得の意味の違いについて説明します。
講義で学べるポイント!
- 因果応報と自業自得の違いとは?
- 「業(カルマ)」とは何なのか?
因果応報と自業自得は意味が違うの?僧侶がわかりやすく解説
因果応報と自業自得の意味について説明していきます。
結論としてこの2つの意味は本質的には同じですが、少しだけニュアンスが違ってきます。
ではどう違うのか?「業(カルマ)」とは何なのか?
これらを仏教の視点から解説していきます。
因果応報の意味
まずは因果応報の意味を説明します。
詳しくはこちらの記事にて紹介していますので、より詳しく知りたい方は参照下さい。
https://tellaco.site/glossary/causal_retribution/
仏教の思想の中核をなすものに「あらゆる現象や生じた結果には全て原因がある」とするものがあります。
この思想を端的に示したものが因果応報です。
因果とは「原因」と「結果」であり、
応報とは「応じて報いる」という意味です。
つまり、「ある原因によってその報いが結果として現れる」ということです。
言われてみれば当たり前なのですが、「手を叩くと音がなります」「人に嫌がらせをすると嫌われます」
このように全ての事象には必ず原因があるのです。
原因にはいい原因と悪い原因がある?
原則は
- 「善因楽果」もしくは「善因善果」
- 「悪因苦果」もしくは「悪因悪果」
となります。
つまり、いい行いをすると良い結果が帰ってきて、
悪い行いをすると悪い結果が帰ってくるということです。
因果応報の使い方
因果応報は「ある原因によってその報いが結果として現れる」という意味なので、善因も悪因も含まれています。
ですが、一般的には「悪因悪果」として使われることが多いです。
「彼はいままで自分勝手に生きてきたから、ピンチの時に誰も助けてくれないのは因果応報だ」
というような使い方として使われます。
逆に
「彼はいつも周りのために尽くしてくれる、だから彼が困った時に皆が助けてくれるのは因果応報だ」
というような使い方もします。
自業自得の意味
こちらも仏教用語が元になっている四字熟語で
自分の業は自分の得として帰ってくるという意味です。
では「業(カルマ)」とは何なのでしょうか?
業(カルマ)とは?
業とは、先程説明にもあった「原因」とほぼ同じ意味です。
行動や心、また言葉から生じた作用を意味します。
仏教では業を3つの分類で分けます。
それを「身口意の三業」といいます。
- 身は身体的な動き
- 口は発言
- 意は心の動き
- 「掃除をすると部屋がきれいになる」
「悪口を言うと嫌われる」
「自分勝手に物事を考えていると人間関係が悪くなる」
これら全ての原因は身口意の三業で説明が付きます。
この身口意の3つが業(原因)となって、結果に転じるということなのです。
さらに、仏教において業(カルマ)は輪廻の思想とも結びついておりは
過去世の善意と善行は良い業(カルマ)となり、生まれ変わる先が良くなり、
逆に悪意と悪行は悪い業(カルマ)は行き先が悪くなり、最悪の場合地獄に陥るということになります。
仏教では苦しみの連鎖である輪廻から抜け出す(解脱)ために善因を積んで、いいカルマを得ようとするわけです。
難しく書きましたが、
例えば、人の悪口を言ったら、周りに回って自分の状況が悪くなったり、勉強をサボった結果テストの結果が悪くなったり、逆に他人に良い行いすると人間関係が良くなったり、勉強を頑張るとテストの結果がよくなるなど、私たちの生活に深く結びついています。
さらに、いい行いをすると輪廻から抜け出すことが出来て、悪い行いをすると地獄におちます。
自業自得の使い方
自業自得の意味はわかったと思います。
そこで自業自得の使い方としては、一般的にネガティブに使うことが多いです。
因果応報でも、ネガティブに使うことが多いと書きましたが自業自得のほうがそのイメージは強いです。
注意しても辞めなかった時に怪我をしたら「ほら、自業自得でしょ」と言われるような場面に出くわした方は多いのではないでしょうか?
因果応報、自業自得の類義は?
因果応報、自業自得と同じ原則「ある原因によってその報いが結果として現れる」で使われる言葉はたくさんあります。
その一部を紹介します。
「自分で蒔いた種」「身から出た錆」「悪事身に返る」などがあります。
これら全て、自分がの悪い原因が、悪い結果を持たらすという意味です。
良い意味で使われることが少ないのは、やはり私たちは意識しなければ「悪い原因を作ることが多い」
という性質があるからではないでしょうか?
さらに、いい原因はいい結果として返ってくるのに時間がかかるというのもあります。
すぐにいい結果として返ってこないから、結果善因を辞めてしまうこともあるのではないでしょうか。
仏教では、そんな悪因を善因に変えていくための、方法や思想を細かく説明しています。
是非一緒に仏教を学び、一緒に善因をつくって生きたいと思います。