コラム
講師:康心
所要時間3分
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【コラム】コロナウイルス差別と「大悲代受苦」
コロナウイルス差別と「大悲代受苦」についてお話いたします。
講義で学べるポイント!
- コロナウイルス差別
- 大悲代受苦
【コラム】コロナウイルス差別と「大悲代受苦」
新型コロナウイルスにより、私たちは多くの困難を強いられています。
「自粛」とはいえども、一種の「強制力」を持つかのような風潮に、若干の疑問も持ってしまいます。
さて、コロナウイルス感染症による「制約」は、すべての者が等しく受けている困難であります。
しかし、このようななかで、「差別」が生じているのも事実です。
東日本大震災による東京電力原子力発電所事故により、福島県民がひどく差別を受けて、問題となったことは記憶に新しいでしょう。福島県で育った筆者は、たいへんに辛く苦しいこととして、受け止めたのです。同時に、同じく生きる者として「差別」はあってはな
らないと、強く考えさせられました。
にもかかわらず、コロナウイルス感染症の蔓延による差別が起きていると報じられております。残念無念であり、強い憤りを覚えます。
もちろん、感染を阻止するために「制約」は必要であって、人の移動に制限を設けたりと、通常の生活と同じではないことは理解できます。しかし、コロナウイルスを理由として、他者を「差別」することは、あってはなりません。
大悲代受苦
他者の苦悩をも、代わって受けることこそ、本来の仏教者としての在り方でしょう。釈尊の教えに、「大悲代受苦(だいひだいじゅく)」というものがあります。その出典をたずねてみますと、釈尊最後の教説である『涅槃経』には、一切衆生の異の苦を受くるは悉くこれ如来一人の苦なりと説かれています。
他人の苦しみを代わって受けることを意味しており、他者の苦悩や困難をも、自分自身の苦悩・困難として受けとめることが説示されています。これこそ、仏や菩薩の慈悲としての行動ともいえましょう。
行政の方々の昼夜にわたるご苦労、医療関係者の不断の努力、多くの御尽力される方々に敬意を表します。ありがとうございます。
そして、私たちひとりひとりの行動があってこそ、収束・終息に向かうのであります。
涅槃経に説かれている「大悲代受苦」という教えを、今こそもう一度、考えてみてください。
お隣さんの苦悩、御縁のある方の苦悩、ひいては日本中のどこかにいる方の苦悩が、少しでも緩和されるように、自分自身がそのお手伝いをすることで、他者の苦悩を、自らが代わって受けることになるのです。
「差別」はあってはならぬことですが、同時に、苦悩されている方のために、なにかしらの犠牲を自らに強いることも、現下のような時だからこそ、求められている生き方ではないでしょうか。
「新しい生活様式」が求められている今、心の持ち方も「新たに」したいものであります。