コラム
#09
所要時間5分
【今日の説法】様々な仏様?私達は誰に拝んでいるの??
普段私達が聞く仏様。
そんな仏様には様々なイメージがあります。
私達は「どんな仏様」にたいして拝んでいるのでしょうか?
講義で学べるポイント!
- 仏様にまつわる故事成語/ことわざ紹介
- 拝む対象としての仏様
様々な仏様?私達は誰に拝んでいるの??
先日アニメを見てましたら、誰かが殺されたシーンでは「成仏して下さい」と言っていたのに対して、なにかピンチになったシーンでは「神様助けて下さい」と言ってました。
このシーンを見た時、少し違和感を感じたのですが、この神仏を融合して信仰しているところが日本人の寛容さであり、民族性と結びついているのかなぁと思うと微笑ましくもありました。
そこで、改めて私達は「仏様」をどのように思っているのでしょうか?
そんなことが気になり、今回は仏にまつわる故事成語やことわざを紹介しながら、私達が古来より仏様に抱いていた印象や信仰の対象としての仏様について考えていきましょう。
故事成語やことわざからみる仏様
仏の顔も三度まで/仏の顔も三度撫ずれば腹立つ
仏の顔も三度までとは、どんなに温厚な人でも、何度も無礼なことをすれば怒り出すことのたとえ。
仏様はどんなことをしても許される。受け入れてくれる。そんな象徴として考えていたのでしょう。
仏作って魂入れず
仏像を作っても、作った者が魂を入れなければ、単なる木や石と同じであることから。
転じて、物事は仕上げが最も重要であり、それが欠けたときは作った努力もむだになるということ。
仏という言葉と魂という言葉が出てきました。
私達は仏様には魂が入っていると考えているのでしょう。
彩(さい)ずる仏の鼻を欠く
念を入れすぎたため、かえって大切な部分をこわしてしまうたとえ。「彩ずる」は彩色を施して飾る意。仏像を作り上げるのに、もう少し良くしようと手を加えているうちに肝心な鼻を欠いてしまうことから。
この故事成語からは仏様や仏像は大切な物。という印象がありますね。
当たり前のようですが、当たり前ではないのも事実です。
下駄も仏も同じ木の端(きれ)
(足で履く下駄も、人に拝まれる仏様でも同じ木ではあるが) もとは同じでも、その人の心がけしだいで、地位や境遇に格段の差が出てくるというたとえ。
下駄に対して仏様は大切なもの、格式が高いものという印象があると考えられますね。
知らぬが仏/知らぬは仏見ぬが神/見ぬは極楽、知らぬは仏
知っていたら腹を立てたり、心配したり、悲しんだりというふうに心を労するが、知らなければ仏のように無心で、平気でいられるということ。
仏様は無心で常に冷静で物事を正しく判断する。ありのままに見ている。そんなイメージがこの故事成語からは伺えます。
仏の光より金の光/阿弥陀も銭で光る/金さえあれば行く先で旦那
厳しい地獄の裁きでも、金をつかませれば手心を加えてもらえるの意で、ましてこの世は、金さえあれば思うままにどうにでもなるということのたとえ。
仏の光は何よりも神々しくありがたい。(仏に神々しいという表現は正しいのでしょうかね..)
そんな仏の光よりもカネの光はヒトを狂わす…
仏も昔は凡夫なり
釈迦も最初は煩悩に苦しむ普通の人間だったが、修行を積み重ねることによって悟りを開いた。そこから、誰でも精進すれば仏になれるという教え。さらに、努力によって立派な人間になれるという広い意味でも使う。
こちらは私が好きな言葉ですが、仏教の教えにそった故事成語ですね。
インドのお釈迦様ももともとは凡夫でした。そのお洒落が修行を積み重ねて仏様になった。つまり成仏した。
そんな意味合いが込められています。
迷えば凡夫 悟れば仏
思い惑うだけなら、凡夫として生涯を終わることになるし、ひとたび悟りを開いたとなると、いかなる人間でも仏菩薩(ぼさつ)となることができる。迷える衆生も仏菩薩も、もともとは一つのものであるというたとえ。
仏様は迷わない。常に物事を正しく見ている。そんな印象がわかります。
仏の心凡夫知らず
寛大で慈悲深い仏の心も知らずに、凡人は勝手気ままなことばかりしていることをいう。愚かしい自分を反省せよという教訓。
寛大で慈悲深い。仏様はそこにいるだけで皆を温かく見守ってくれ、どんな罪も許してくれる慈悲深さがある。
そんなイメージが伺えます。
食い物と念仏は一口ずつ
食べ物は一口ずつでもみんなで分け合って食べたほうがよいということ。また、念仏も一人が一口ずつ唱えてもご利益があるということ。「食べ物と念仏は一口ずつ」ともいう
念仏はありがたい言葉。それは食べ物のように人が生きていく上で大切なものなのでしょう。
今際(いまわ)の念仏誰も唱える
不信心な人でも、死に際には念仏を唱えて仏にすがるということ。
人は最終的には何か合ったときは仏に頼る。
最後の駆け込み寺。そんなイメージが伺えます。
女房、鉄砲、仏法
女性は雰囲気を和らげ、鉄砲の力で治安を保ち、仏法で人の心を正しく導く。この三つの力で世の中がうまく治まっているということ。
仏の教えは、人を正しく導く。そんなイメージがありますね。
地獄で仏に会ったよう
苦しく恐ろしい状況を「地獄」として、そこで出会った救いを仏様にたとえたことば。
仏様は救いの光。そんなイメージなのでしょうか。
神と仏は水波(すいは)の隔へだて
神と仏とはちょうど水と波とのようにただ形が違うだけで、もとは同体である。
仏様と神様はもともとは同じ。日本の先祖信仰と結びついた考えがここには伺えます。
この話だと先程のアニメの話も納得ですね。
最後に
仏って聞くとなんだか有り難いイメージだけど、すこし自分から遠い存在に思えますよね。
でも、私は亡くなられた方を「仏」というふうにいいます。
私達は、見たことも聞いたこともない遥か遠くにいる仏様を拝んでいるのでない。
私達と苦楽を共にしていた、親、おじいちゃん、おばあちゃん、や友人などの、ご縁のある方が、仏となるのです。
そう思うと身近に感じませんか?
だから今日も仏様に感謝の気持をもって拝みましょう。